短編私小説『遺書と地獄』
【まえがき】
私は虚実皮膜へと旅に出た。
しかし、フレスコ画に触れられず、
床に幾重にも捨てられた模写。
虚実の果てに、現実を羅漢した。
その現実への皮肉を。
(これは独白であり、記録である)
脳に詰まった、無邪気な生い立ちを吐露しよう。
記憶の始まりはキラキラしていて
とても怖かった。
赤子ながらに、水溜りに虹を投げ込んでは駆けていく、そのような仕事を望んでいた。
しかしどうしても、水面には不純な現実が写った。背伸びして太陽を掴むと、水面に叩きつけた。水面は焦げ付いた。
眼を閉ざしても、その火傷の匂いが、いつまでも、鼻腔にこびり付いていた。
これが私の第一の挫折である。
ちゅうがっこう
のとき
やがいがくしゅう
に
いきましてん
みんなあつまって
わになって
ねがいごと
かきますねん
わのそとで
ぼくは
ひとり
ぽつねん
だれからも
こえをかけられなかった
ぽつねん
ぼくは
たびにでたい
と
かきましてん
きゃんぷふぁいあ
はじまって
みんな
てをつないで
わになって
おどりますねん
ぼくのてを
だれも
つないでくれへんかった
ぽつねん
わをそとから
ながめることしか
できまへんで
ぽつねん
ねがいが
かかれた
かみは
あとで
やぶりすてましてん
ぽつねん
私の青春は屈辱と希死に塗れていた。見渡す限りの戦禍。
ひとりぽっちで心が壊死し。
ひとりぽっちで楽しかった。
これが私の第二の挫折である。
ふたりの皮膚は会話する/まるで饒舌に/
貶めるはナイフ/或いは虚飾/
狂えるテンションで這い回る蛇/
実弾を舌で転がし喉へ/
蜜で描けど/あてのないふたり/
眼を塞いで/耳を閉じ/
不乱に交じる熱い花/
指先はいつか冷え/忘れるだろう/
ならば忘れる日まで触れてやる/
敢え無く剥がれ出す/虚しき嘘/
現実を濾過したら/どの感情が残る/
花は散っていく/誰にも告げず/
露ほど/感情すら残さず/
それは濾過された/もののあはれ/
やがて壊疽した関係は/
溜息と時計のあいだで溶け/
揺れる火はやがて消え/
冷え切った白日の下で/
交わす言葉は 千切れていった/
獲物から事物(もの)へ/変貌を遂げても/
私は求む/狂おしい運命の陰影を湛えた彼女を/
或る群青に紛れ/一度は消失した彼女/
凡ゆる辛酸を舐めたであろう疵に/
私は触れている/
無為に過ぎる時間を抓(つね)り/
脈拍の無い身体を留めて/
偉大なる神の襞(ひだ)を眺める/
ひとりの皮膚ほど虚しいものは無い/
これが私の第三の挫折である。
(挫折の果て)
太陽ト別離シテ地下(モルグ)へ潜ル
皺(不和)クチャノ頽廃(décadence)ヲ握リ締メ
(似非の)死ニ憧レ(焦がれ)塵芥
根無シ草(déraciné)ハ放蕩シ………
放浪シ………ゼツボーノ果テ……
…掘リ出シタ思シ召シヲ聞ク
「死など生きた末の残滓だ。
恐れるな」
「月夜、或る海にて、
私は潜水し、溶けた魚を額縁に入れる。燃える様な青。萎びた月の黄色が、魚を引き立てる。
美術館に寄贈しよう。私は美術館長を海に沈めた。星々の輝きが、海底のヒトデの煌めきと交わり、館長を貫く。
最後にヴェルレーヌに一目会おうと、私はありったけの詩集を海にぶち撒ける。
月光に焼かれ、波間で燃えさかるヴェルレーヌやランボオ。館長の死体が海中で踊る。
翌日、私は額縁の中の溶けた魚を美術館へ寄贈し、自ら絶命する」
私は、神に対して臆することなく存在を放棄する。
私が必要とするものは沸騰した言葉の塊で、ぬるくふやけたものでは無い。
美しき暴文、神に叩きつける野蛮な美。
熱に浮かされた私は、柘榴の揺れる幹の傍で 煩悶し、実を引きちぎる。
滴る柘榴の血液を飲み干すと、私は私の極致で 煌々と演説す。
それはあてのない旅だ、果てのない戯言だ。
身勝手な駄文に群衆は不満を募らせるだろう。誰よりも紅く、誰よりも熟した果実は地に落ちる他ない。地獄に落ちる他ない。(未完)
【あとがき】
文体は顔であり、私の思う文学の全てである。
酔うような文体も、また良し。
極上の暗喩、究極のストーリーを編んでも、文体が不味ければ台無し。
そこには人物の会話は要らない。人間も不要だ。状況描写も要らない。ストーリーも要らない。
独白こそが、人の本質を写し出す一番の鏡だ。
こう書き連ねていると、まさに酔うような文体である。
それには、決まって他人はケチをつける。
だがこれは私の独白ゆえ、他人を書く義務は無し、反対に書くもよし。
スヴェンソン。唐突だがそれも良し。
酔いが嫌いなら立ち去ればよいだけだろう。
何を、どう、独白するか。興味は尽きない。
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